「ご冥福をお祈りしますという言葉」

「ご冥福をお祈りしますという言葉」
ナニワの天才ドラマーが闘病の末亡くなられた。たぶん私と同い年で同じ師匠に習った。死ぬまで現役で後進の育成も力を入れておられたので、周りのショックは大きい。多くの方が「ご冥福をお祈りします」と書き込みされていた。
「ご冥福をお祈りします」
日本人にとっての死生観をよく現す言葉だ。
私が高校1年の時、同級生が亡くなった。悲しみに暮れてみなで葬儀に行き、僧侶の読経を聞いていた時のことだ。
「このお経にはどんな意味があるのか、何を言ってるかさっぱりわからない。果たして大事なことなのか、もし大事なことならば、なぜ意味不明の言葉で聞かせるのか、なぜ人はそれを生きている時に知ろうとせずに、死んでから聞かせるのだろう?」私の脳裏にそんな素朴な疑問が生じた。
父が亡くなった時、やはり僧侶が来て読経した。意味はさっぱりわからなかったが、最後の言葉だけが印象に残った。
「この凡夫は何の公徳も積まず生きて亡くなった。仏よ、願わくばあなたの尊いお慈悲により浄土へ向かい入れたまえ。」
なぜか涙が出た。後で知ったが、それがお経の核心だったのだ。さらにいうなら、その教えは釈迦が教えたものではなく、聖書の教えなのだ。
「神から離れ罪を犯した我を許したまえ、神の尊いキリストの十字架の愛で天国に向かい入れたまえ」
本来釈迦は死後の世界があるかについて答えなかった。彼は世俗を捨て一切の煩悩を滅却する悟りによらなければ、涅槃に達しないと説いた。
ところがその教えは俗世間に生きる凡夫である、煩悩にまみれた私たちにとってはハードルが高過ぎた。そこへイエスキリストの弟子トマスがインドに宣教に来た。それが神がキリストを遣わし私たちの罪を贖い、贖罪してくださった福音の教えだ。
こうして仏教は変容した。いわゆる大乗仏教である。それが日本に入って来たのだ。
仏教もキリスト教も同じことを言っているのは、「人間はそのままでは浄土にも天国にも値しない、罪人であり凡夫である」ということだ。だから人間がご冥福を祈ったかと言って自動的に天国には入れない。そこに神や仏の慈愛を必要とするのだ。
これは実はすごく重要なことなのだ。
それがいつの間にか神も仏もいらない、思う存分自分中心の人生を歩み、死んだ時だけお経を聞かせて、それで浄土に行ける安直な宗教に生み出した。だから私たちは神も仏も自分の人生から除外して、「ご冥福をお祈りします」というしか語るべき言葉を失ってしまった。
自動的に天国に行くと考えるのは、私たちの願望であっても、聖書もお経もそんなことは教えていないのだ。
聖書はそんな人間を、そしてこの世を神が裁くとはっきり教えている。天地をお造りになった神を除外して天国に入れる義人は誰もいないと教えている。
なぜなら天国は神ご自身が所有される場所なのだから。
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