「終末の教会再編?」

「終末の教会再編?」
今日礼拝来られたあるクリスチャンの方と話していたのですが
このコロナ騒ぎの中で、やはり教会の再編というか、地盤変化が起こっているような気がしました。
私たちが教会を始めた頃は、私のように神学校を出たのでもなく、牧師でもない者が教会を始めるというのは例外的だったような気がしますが
最近は教会の垣根を跨いだ交流や学びがZOOMなどで簡単に成り立つので、草の根的に教派教団横断的にネットワークが発生し、牧師ではない人が独自のバイブルスタディを始めたり、ミニストリーを始めたりしています。
実は私はNYマジソンスクエア教会のデイビッドウィルカーソン牧師を尊敬していて、彼は自分が見た未来(終末)のビジョン(幻)を本にしました。
今本棚のどこかわからないのですが、終末にはもはや自分をバプテストだとか、ペンテコステだとか言わず、教団から離れたただクリスチャンだという人々の草の根的ネットワークができるビジョンを見たのですね。そのネットワークは会堂を建てることよりも、それぞれの家で集まったり、自由に賛美や祈りのためにグループを作って集まって行くと言うのです。
今起こっていることは、まさにそんな感じです。
伝統的な教会の牧師さんなら、自分の会堂に人を集めることが一番大事だと考えるでしょうし、日曜礼拝厳守を信徒に求めるでしょうけど、そのような教会の形式を離れたクリスチャンたちが、独自のグループを作ったり、自由に横断的に他のグループと交流したりし始めています。
正直言って、私が以前やっていた小グループも、教派の違う他教会の長老さんたちが参加していて、自分の教会の礼拝を守ってそこに仕えながら、同時に私と本当に有意義な集まりを楽しんでいました。そして自分の教会でもそのような小グループにトライするようになりましたし、今でも誕生日には集まるんです。
牧師さんはどうしても、自分の教会の「量的」成長を一番に求めてますし、他教会に移るとその教会を「羊泥棒」と呼んだり、「羊の囲い込み」を気にします。牧師は自分の責任感からそうしているつもりでも、知らず知らずのうちに「自分の王国」を築いてしまうのです。そしてその自分の王国を他の教会と比較するのですね。
確かに「浮き草、根無草」的なジプシークリスチャンは、単に自分が気安く楽しめる教会を求めて、あちらこちらさ迷う場合があります。私は人は自分の家族やコミュニティに対して一定の責任を持たない限り、成長はないと考えていますから、クリスチャンは自分が成長の責任を負う一定のコミュニティであるローカルチャーチに属するべきだと考えますから、全てのクリスチャンに「あなたが責任を負えるコミュニティである教会に属しなさい」と話しています。しかし教会が、あるいは牧師がその教会員に対して、キリストの弟子として成長できる訓練や学びを提供できていない場合も多いと思います。
適切な成長の環境があれば、すごく伸びるクリスチャン、弟子訓練を求めているクリスチャンもいます。そのようなクリスチャンは成長の環境を求めて、様々なセミナーやネットワークに参加して行きます。それを止めることはできません。
とは言え、そのような学びには異端的な働き人や、教会に立てられた牧師を尊敬することを忘れてしまう教えも存在し、健全なバランス感覚を持っていないといけません。
今日来られた方にも、そのように話しました。しかしもし教会が信徒に毎週日曜礼拝以外の成長の機会を提供していないなら、教会がジリ貧になることは避けられないと思います。成長のために自らを変えようとしない教会は老化し、淘汰されていく時代にもう入っています。
私も試されているのは同じです。
今日礼拝に参加された人々には、前の教会の牧師についていけず離脱した人々もいます。礼拝は楽しいに越したことはありませんが、牧師は自分の王国のためではなく、信徒をクリスチャンを伝道と弟子の増殖に向かって「愛を持って」「無理なく」動機付けを与えられるかどうかが、今問われているのだなぁ、と今日思わされました。
“それゆえ、イスラエルの神、主は、私の民を牧する牧者たちについてこう言われる。「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追い散らして顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いを罰する──主のことば──。
しかしわたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての地から集め、元の牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んで増える。
わたしは彼らの上に牧者たちを立てて、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おびえることなく、失われることもない──主のことば。”
エレミヤ書 23章2~4節
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