患難前携挙説について

聖書フォーラム(ハーベストタイムミニストリーズの傘下教会)で学んでいる方(クリスチャン)からの質問に答えました。

ハーベストタイムミニストリーズはメシアニックジュー(ユダヤ人クリスチャン)のフルクテンバウム博士の神学を広めている団体です。

ここでは「患難前携挙説」を大きな柱として終末論の重要性を説いており、かつそれを重要視しない教会の神学を「危険」なものだと信徒に説明しています。

そこで私は度々ハーベストタイムの「患難前携挙説」が必ずしも聖書に完全に一致しているわけではないことを論証しています。

これは患難前携挙説が間違っていることを論証したいというよりは、終末論を断定的に語ることは難しいということに気づいていただきたいということです。私はハーベストの中川さんの講演などからもたくさんのことを学ばせていただいてますから。ただ携挙の時期を黙示録などから、正確に時系列的に読み取るのは難しいと考えます。

ご興味ある方はお読みください。

以下の説明は聖書フォーラムで学ぶ方に答えた内容です。

1. 黙示録の24人の長老には諸説あります。

“また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。”
ヨハネの黙示録 4章4節

12人のイスラエルの族長、12人は使徒を現すとも言われます。

患難前携挙説では3章までが教会時代を現すと説明されますが、仮に4章以降の24人の長老が携挙された教会を現しているなら、次の記述はやや意味不明になります。

“長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。
そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。”
ヨハネの黙示録 7章13~14節

天の御座における24人は描写は、死後パラダイスに引き上げられた旧約新約の聖徒を指していると思います。でなければ長老が患難を抜けて来た者(教会)のことを7章で問うはずがありません。

仮に7章においてキリストにあって死んだ者と患難から携挙された教会聖徒の出会いの描写であるとしても、その時点で第6の封印までは解かれています。

とすると4章や5章において御座の前にいる者はまだ栄光の身体を得ているわけではありません。栄光の身体は「奥義の成就」ですから、それは終わりのラッパだとされています。

“聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。”
コリント人への手紙 第一 15章51~52節

黙示録では奥義の成就は第7のラッパの時だと記述されています。

“第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」”
ヨハネの黙示録 10章7節

それはすなわち携挙の時に起こります。

“私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”
テサロニケ人への手紙 第一 4章15~17節

黙示録を完全に時系列で読むと携挙は第6の封印から第7の封印が解かれるところか、もしくは第7の封印の最後のラッパで携挙が起こり、奥義の成就すなわち栄光の身体が成就する時だと読めるはずです。

2. 患難時代が7年であるという前提から、なぜ7年全部が神の怒りだとするのか?

患難前携挙説では患難時代は神の怒りだというのが大前提で説明されるのですが、黙示録では神の怒り、復讐の宣言は5章においてもまだ宣言されていません。

“小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。
彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、「あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい」と言い渡された。”
ヨハネの黙示録 6章9~11節

ここを見てわかるのは、天において「祭壇の下にいる兄弟たちのたましい」は殺されて死んだ(おそらくクリスチャンの)霊であるということ。(歴史上殉教したローマ時代、江戸時代のクリスチャン含む)そして彼らはまだ栄光の身体を得ていないということです。

パウロはテサロニケ第一で蘇り栄光の身体を得る順序は、「主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。」「ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、」と言ってるわけですから、ここからも栄化(携挙)はまだ起こっていないと考えるのが自然です。

“御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」”
ヨハネの黙示録 6章17節

6章最後まで神の怒りの表現は出てきません。正確には怒りの宣言は11章で成されます。

“第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」”
ヨハネの黙示録 11章15節
“諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」”ヨハネの黙示録 11章18節

以上の箇所から、怒りの真の宣言は第7のラッパであり、かつ奥義の成就も第7のラッパです。終末時代が7年である(ダニエル最後の一週)と考えても、それ全体が神の怒りだとは聖書は教えていません。患難前携挙説では7年全部が神の怒りだと説明しますが、聖書自体にその根拠はありません。

患難時代においても神はご自分の民を患難時代の災禍から保護されることが約束されています。

“そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。”
ヨハネの黙示録 9章4節

“そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。”
ヨハネの黙示録 16章2節

神はご自分の民と獣に従う者を選別されています。同じ被害には合わないのです。だからなぜ聖徒(クリスチャン)が患難時代に神の怒りに合うのかの問い自体がナンセンスです。

さらに

“こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」”
使徒の働き 1章9~11節

これと同じ描写は黙示録のどこに出てくるでしょうか?

“また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」”
ヨハネの黙示録 14章14~15節

14章です。
使徒の働きでは御使いは誰に話しているか?使徒たちにです。イエスがどうやって来るのか信徒に教えているのです。だとしたら信徒を迎えに来るこの出来事は患難時代前に起こるのではないことになります。

“主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。”
テサロニケ人への手紙 第一 4章16~17節

携挙の特徴は
「号令、御使いの頭の声、ラッパの響き」があるといいます。これは黙示録のどこに描写されているでしょうか?黙示録を読んでいくと、それに該当する箇所が出てきます。

“また私は、もうひとりの強い御使いが、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭上には虹があって、その顔は太陽のようであり、その足は火の柱のようであった。
その手には開かれた小さな巻き物を持ち、右足は海の上に、左足は地の上に置き、
獅子がほえるときのように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がおのおの声を出した。”
ヨハネの黙示録 10章1~3節
“第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」”
ヨハネの黙示録 10章7節

やはり第7のラッパです。

反キリストを留めている者が聖霊とは限らないという解説はFBにすでに上げました。

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