「仏教の起源や霊媒現象を理解する」

「仏教の起源や霊媒現象を理解する」
コロナと聖書預言LINEグループでシェアした内容です。
仏教とは何か
ということも深いテーマで
一つの理解の仕方は「大乗非仏説」を知ることでしょうか。
これはインドの仏教指導者アンドーべカルや東大名誉教授の中村元博士などが言っていることですが、大乗仏教そしてその経典はゴータマ(釈迦)の死後500年ほどして経典化されたもので、ゴータマ直説ではないとされてます。
本来の直説は上座部仏教で、中国経由で日本に伝わった大乗の教えは、1世紀にキリストの弟子トマスなどによりインドに伝道されたキリスト教の「天の父」「メシア」が「大仏」「菩薩」に変化したものだということです。
1世紀頃にインドでキリスト教に影響受けて、地上の凡夫(罪人)が仏(神)のお慈悲(愛)により、菩薩(メシア)を地上に遣わし、菩薩(メシア)によって極楽(天国)に入れるとした新しい教えに変わってしまったわけです。
つまり大乗の教えのルーツは開祖ゴータマではなく、聖書の教えであると考えられる所以です。
本来の仏教は最古の経典とされるスッタニパータ、ダンパマダなどを読めば、大乗とは似て非なるものだとわかります。
イスラムのコーランもそうなのですが読めば、オリジナルが聖書だとすぐわかります。
様々な宗教が本質的に同じであり、同じ真理を教えているのではなく、オリジナルとそのイミテーションの違いがあるだけなのだと私は理解しています。
それを混ぜこぜに同じだとするのは、元々それぞれの宗教の経典を読んでいないか、知らないために、それぞれの宗教がその宗教を成り立たせている、最も重要な教理を理解していないからです。
キリスト教の最も重要な教理は「イエスキリストは人として来られた神(創造者)」ご自身であるということです。
ユダヤ教もイスラムもその真理を否定しますので、同じになりようがないのです。
仏教はそのキリストを菩薩に転写したものであり、イスラムはムハンマドが啓示を天使ガブリエルからもらったとされますが、コーランを読めばわかるのは、ムハンマドに起こったのはいわゆる「霊媒現象」であるということです。すなわち他の多くの民間信仰、沖縄なユタやシャーマン、新宗教に共通の霊媒現象です。
これは聖書に記された預言者の啓示とは異なるものなんです。
霊媒現象は霊が乗り移られた人の人格と別のものが出現するのに対し、聖書の預言者は人自身の人格を持ったまま、神の啓示が来たものを記録したのです。
私は悪霊の追い出しを何度かやりましたが、悪霊に入られた人は人格が乗っ取られてしまうのです。
悪霊に話しかけると悪霊が話し、その人に話しかけるとその人が話すのです。悪魔は人の人格を尊重しませんし、ただ乗っ取ってコントロールしようとしますが、神は人の人格を尊重されますので、人格の変容は起こらないのです。
私は以前、仏教のお経を詠まれている方に聞いたことがあるのです。あなたは今詠んでいるお経の意味がわかりますか?と
するとわからないというのです。
それで私はお経を貸してもらい、そのお経の序文解説を読んで差し上げました。
その内容は「御仏は凡夫衆性をお救いになるために、地上に菩薩を遣わされたことを喜んでおられる」と書いてありました。
それで私はその方に聞いたのです。
「あなたはお経の意味を知らずにありがたがって詠んでおられますが、その言わんとすることは、実は聖書の教えなのですよ。と
つまり神は地上に罪人を滅ぼすことを良しとされず、彼らを救うために神の一人子イエスをお遣わしになった。そう方の贖いにより信じる者を天国に導こうとされた。ということなんですよ。これは本来、お釈迦様の教えではなく聖書の教えなのですよ。と。その方は全然知らなかったと。
ところが人というものは頑固なのです。頭で理解しても、自分の態度を変えることが難しい。その後も意味がわからないお経を詠んでおられました。意味がわからないことがありがたいのか何かわからないのですが。笑
その後お経に飽きて、「幸福の科学」のお経を手に入れて詠んでおられました。
幸福の科学は大川隆法という自称「仏陀」です。セミナーで話したように、聖書に預言された「偽メシア」が大勢現れます。大川隆法の初期の著作は全て彼に下る様々な霊による「霊媒現象」による著述です。その教えは仏教キリスト教混ぜこぜのイミテーションそのものです。当時の預言は外れまくってますので、読む価値はゼロです。
釈迦は死後の世界の存在を明言せずに、ただ執着を捨てて「サイの角のように1人で生きよ」と教えました。世を捨て身分を捨て俗世を捨て家庭を持たず、完全に執着を捨てた果てに、一切の苦しみのない涅槃に至ると考えたのです。釈迦の本来の教えには「宇宙的大仏」の存在やキリスト的菩薩の教えはありませんでした。それは釈迦没後500年以上後の、キリスト教伝搬後のインドで作られたものなのです。
釈迦の教えでは、サイの角のように1人で生き、一切の執着を捨てれば解脱し涅槃に至ります。では一体誰がそうできるのかが問われます。仏教の世界観では何億年と生まれ変わり死に変わりしなければなりません。執着に生きれば来世は動物、虫になります。ヒンズーの転生輪廻観です。人は女性のまま涅槃に入れず、男性に転生しなければ仏になれません。失敗すれば来世は動物です。それを何億回繰り返すかわからないないのです。釈迦は入滅すなわち死にました。その骨はバラバラにされてインド各地に埋葬されました。仏教はアショカ王の時は擁護され繁栄されましたが、その後廃れました。
そこへ1世紀に西からキリストの弟子たちがやって来て、何億年も転生する必要はなく、救い主の力でただ救われると説きました。
結局のところ俗世や家族や執着の中に生きることを捨てられない人にとって、悟りは幻想のようなものです。どんな高僧になっても悟りを開ける人はいないのです、だから高野山の修行僧のように山中を寝ずに走破したり、滝行断食まで行うのです。それが密教を生み出したのです。しかし仏教系新興宗教に行った人にいわゆる悪霊に入られてしまい、教会に助けを求めて来る人が多いのは、そのような修業過程で、霊の扉が開き、悪霊に入る素地がそこに生まれるからです。その結果が悪霊に乗っ取られた教えを説き始め、その人が教祖となる新興宗教をさらに乱立させて行きました。このようなことが人間の歴史の最初からずっと続けられて来たのです。
かつてバグワンラジニーシが米国で新興宗教を始め、聖書にならなかった外典を利用し、強引に自分の教えにキリストを利用しましたが、彼の死後教団は廃れました。同じことを麻原彰晃が説き始め、自分は悟りを開き解脱したと称して、あの悲惨なサリン事件を引き起こしました。
イエスキリストの教えの基本はイエスの弟子たちの書いた新約聖書にあります。まずその聖書から学ぶことが基本です。聖書を読まずに自分の勝手な解釈をするべきではありません。私は仏教もイスラムもヒンズーも直接その経典を読んで学びました。みなさんも聖書預言を知りたいなら、まずは聖書自体を学ぶ基本をぜひ身につけてください。