「地震と終末の備え」

「地震と終末の備え」
朝目覚めて、なぜか阪神大震災、ハイチ、東日本大震災で学んだことを思い出した。そして自分が特に終末論に取り組んで来たのはなぜか考えた。
Facebookを開けると「福島で地震」のニュースが目に飛び込んで来た。知らなかった。ぐっすり眠っていて知らなかったのに、なぜ朝そのことを考えたのだろうか。神様が何か示しておられるのか?
福音のため、ウクライナのために祈った。と同時にこんな時、教会は何ができるのか考えてみる。
最近のウクライナ情勢を見て、多くの人の反応は「戦争反対、プーチン悪者」の大合唱だ。
でも私の反応は「ウクライナで何が起こっているか正確に知ること」だった。
この経験はいつから生まれたんだろう?
熊本で地震があり、自分がしたのはすぐに現地の情報を調べたということだった。
そして現地の教会情報を探し、現地の牧師と連絡を取り、どの教会が被災しており、何が現地で必要かを調べ始めた。
ヨシュア記のみことばが与えられ、背中を押されるのを感じた。
「"わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。」"ヨシュア記 1章9節
熊本のボランティア受け皿に熊本ハーベストチャーチの中村牧師が立ち上がっておられるのを知り、関西の牧師やクリスチャンに呼びかけ献金を集め、友人に支援物資の買い出しをお願いした。3日で70万円以上が捧げられ、ワゴン車を借りて妻と夜の高速道路を8時間かけて熊本へ向かった。
現地で私がしたことは、被災したお宅に支援物資を運び、壊れた家屋の掃除をし、家人に声をかけることだった。と同時に被災した教会に献金を渡して、現地の教会が相互にネットワークを作れるように、各教会の牧師さんの要望を他の牧師に伝えることが示された。
現地には阪神大震災以来のボランティアの猛者たちが集結していて、国際飢餓対策機構(現ハンガーゼロ)のスタッフたちが精力的に動いていた。まだ余震が続いており、宿泊した教会は破損していた。必要な物資は刻々と変わる。常に最新の情報が必要だ。
教会は祈る。
そして同時に教会は即応性がなければならない。と私は感じている。
ハイチや東日本の時は関西で被災地募金活動を主催した。活動はTV新聞で取り上げられ多くの方が協力してくださった。ハイチ人と知り合い彼の活動に献金した。
ウクライナの話を聞いて「戦争反対」と言うだけではなく、何ができるのか?
そして戦争がなぜ起こったのか知ること。歴史的背景、正確な現地の情報。
必要な事態に備える即応性。
私の教会では教会員が1週間食いつなげれる保存食を備蓄している。災害救助のヘルメット、ツルハシやバール、服装を用意している。バッテリーや太陽光発電パネルがある。私の教会はいつか食糧危機が来ると考えて畑を始めた。
私が終末論を語るのは
いずれその時代が来るからだ。
終末論を語ることをしない教会もあるようだし、今にも終末が来るかのように語ることを逆に危惧する牧師さんすらいる。
しかし世が混沌とし、経験したことのない不安の中を人々は歩んでいる。コロナや戦争で経済不安や食糧危機が懸念されている。
私たちが語ることは福音の希望である。
と同時にフェイクを見分ける正確な情報、思いがけない災害に対する備え、そして即応性を持つクリスチャンと、自分と共に動いてくれる仲間のネットワークを作っておくことだ。
イエス様が「あなたの隣人を愛しなさい」と言う時、それは現実的な行動を要求されている。また「何がその時必要か?」を考えておくことでもあると私は思っている。