「イエスはすぐに来る?」

2022年2月17日

「イエスはすぐに来る?」
“イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。〜
ヨハネの黙示録 1章1節
“これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」〜
ヨハネの黙示録 22章20節
疑問に思ったことはないだろうか?
聖書は「すぐに起こる、イエスはすぐに来る」と教えている。
この黙示録が書かれてもはや1900年以上の月日が流れた。
初代教会の信徒たちはまさにイエスはすぐに来る。今は世の終わりに面しているのだ、と感じていたしそう信じていた。
ところが20〜30年経っても再臨は起こらない。だからペテロやパウロたちは何度も彼らを諫めなければならなかった。
“主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。"
ペテロの手紙 第二 3章9節
“さて兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。
霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。"
テサロニケ人への手紙 第二 2章1~2節
“また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。"
テサロニケ人への手紙 第一 4章11節
ユダヤ戦争が起こる西暦70年以前でさえ、初期のクリスチャンたちの関心はイエスの再臨であった。イエスは「私は盗人のように来る」と言われたし、実際に彼らを取り巻く状況は、ローマで皇帝ネロがクリスチャンを大弾圧する、やがてローマのティトス将軍がエルサレムを包囲する、それはまさに黙示録の獣の存在を想起させた。
「アーメン、主イエスよ来てください」黙22-20
しかしイエスは帰って来なかった。
彼らがそう信じて待ち望み、そう心の準備をしたことは間違いだったのだろうか?なぜ聖書はクリスチャンたちに誤解されるような書き方をしているのだろうか?それから1900年も待たされると当時の誰が思ったことだろう。
パウロは言う
“このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。"
ペテロの手紙 第二 3章11~12節
彼は明らかに終末の神の怒りの日と、それを踏まえて信徒たちに心の準備をさせた。到来を早める?どういう意味だろう。イエスは言われた。
“御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。"
マタイの福音書 24章14
全世界に福音を宣べ伝えられ、あらゆる民族に証される、それが終わればその日は来るという。
だからイエスは言われた。
“しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」"
使徒の働き 1章8節
パウロにとって、「到来を早める」とは全世界に福音を宣べ伝え終わることであり、同時にクリスチャンが再臨に備えて敬虔に準備されることであった。そうすることで、イエスは早く来られる、と考えた。
しかしパウロはこうも話した。
“どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。"
テサロニケ人への手紙 第二 2章3節
イエスが帰還される前に必ず起こることを警告した。そしてそれはイエスご自身が話していたことでもある。
“それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。"
マタイの福音書 24章15~16節
ローマのティトス将軍がエルサレムを包囲した時、クリスチャンたちはイエスの言葉を思い出し、ユダヤの山に逃げ、殺戮を逃れたと伝えられている。
彼らはイエスの言葉を覚えていた。そしてパウロの忠告も覚えていた。それが彼らを救ったのだ。
ではイエスのこの預言は果たしてティトスとエルサレム包囲のことを言っていたのだろうか?
今日私たちはこの預言が終末の獣、不法の人の到来を預言していると考える。
しかし歴史上この反キリストはあらゆる独裁的な君主に当てはめられて来た。
皇帝ネロ、ティトス将軍、プロテスタントを迫害したローマ教皇、ナポレオン、アドルフヒトラー。
その時代時代で、その当時のクリスチャンたちは、今自分たちが生きている状況で、反キリストに対抗する心の備えを余儀なくされたのだ。
初代のエルサレム教会にとってそれはティトスであり、ローマの信徒にとっては皇帝ネロであった。
ではそれは早とちり、完全な間違いだったのだろうか?
私は黙示録を読み進めるに辺り、そうではない、と思うようになった。それこそが、神が「すぐに起こる、すぐに来る」と言われている理由だったのではないかと私は考えている。
“イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。"
使徒の働き 1章7節
いつなのかはわからない。
イエスははっきり言われている。
しかし時代時代のクリスチャンにとっては、それは常に「今」なのだ。そしてそれこそが神の意図だったのではないか、と私は考える。
終末論を語る時、私たちは常に「今それが起ころうとしている」と思わされる。神はヨハネを通して「すぐに起こる、すぐに来る」と書かせたのだから。
私たちは「今それが起ころうとしている」と思っても、同時に「落ち着いた生活をせよ」と教えられている。
しかし神が常に時代時代のクリスチャンたちを鼓舞するために使うキーワードは「イエスはすぐに来る」なのだ。
それは私たちが落ち着いた生活に甘んじ、世に迎合し始め、福音を宣べ伝えることを忘れてしまうことを神は知っておられるからなのだ。
あるクリスチャンが終末論を切迫したものとして話すことは、脅迫観念を生むと心配される。その気持ちはわかる。
しかし同時に多くのクリスチャンが黙示録の7つの教会のように「勝利を得たクリスチャン」になるとは限らないのだ。だからイエスは言われた。
“あなたがたに言いますが、神は彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます。だが、人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」"
ルカの福音書 18章8節
あなたは今週誰かに福音を伝えただろうか?「今それが起ころうとしている。」準備ができているだろうか?
“わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」"
マルコの福音書 13章37節