「人は知り得たことからしか世界観を構築できない」

「人は知り得たことからしか世界観を構築できない」

最近よく思うのですが
FBにもいろんな意見がありますよね。
例えば第二次世界大戦の太平洋戦争を「大東亜戦争」とか中国を「シナ」と呼ぶ人がいます。そういう方は戦後の教育が自虐史観から作られていて、日本は徹底して侵略国家だと戦後世代に刷り込まれて来たんだ。そうではなく日本の戦争はアジア諸国の欧米からの自立独立を支援したものであり、戦争は米国の経済封鎖によるやむ得ない選択だった、日本は悪くない。だいたいこういう世界観を持っておられます。確かにそういう側面はあることは認めます。(もちろんそれだけだと事実の一面でしかない)この場合、そういう方は戦後世代にこの事実を伝えないと、と真剣に考えておられるわけです。

この問題提起は、結局のところ、私たちは客観的で公正な教育や情報の元に生きているのではない、ということです。
情報は操作されて誰かに有利になるようにされている、それは是正されるべきだという風になります。例えば韓国の反日教育を考えてみることもできます。なぜ韓国があれほど日本を批判し従軍慰安婦問題で食い下がるのか。それは彼らがそういう教育を受けてきたからです。

私は常に「情報がその人の世界観を作る」ことを伝えて来ました。一方通行の情報は、それがTVであれ、国家による学校教育であれ思想や世論を管理する目的があるということです。そしてそれはいつの時代どんな国にもあるのです。

クリスチャンであるならば、進化論に反対されてる方多いでしょうけど、同時に日本に教育が進化論一色であることもお分かりかと思います。つまり創造論を知らない人に創造の話をしても理解不能なんです。

同じことは、私が度々言うように「トランプ人種差別主義者」「プーチン独裁者」「オサマビンラディン911首謀者説」「シリア化学兵器疑惑」「ジョージフロイド、警官による圧死説」メディアの流す大量の情報をなんでも一度立ち止まって、別の角度から調べてみる必要があるんです。

私たちが伝えている聖書の福音だって、聞いたことのないものを信じることは不可能なんですから。

“ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
では、私は尋ねます。彼らは聞かなかったのでしょうか。いいえ、むしろ、「その響きは全地に、そのことばは、世界の果てまで届いた」のです。"
ローマ人への手紙 10章17~18節