「聖書第二正典に関して」

「聖書第二正典に関して」

以前から私は聖書の権威が神の啓示に基づくものであり、かつ預言の歴史的成就が啓示の正当性を証明していると話して来ました。

しかしそれにもかかわらず、聖書66巻のみがなぜ神の啓示の十全性を保証し、かつ完結しているのか?については自問自答して来た経由があります。

これは聖書の写本研究や正典編纂史を勉強された方なら一度は考えたことがあると思います。

以前にもFBにおいてプロテスタントの特に福音派の言う「字義通りの解釈」論や「66巻のみが霊感された正典」の根拠についてはまだ完全には理解できないところがあることを書いています。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=10211124844904368&id=1454178578

これはそもそも聖書を決めたのは誰か?
なぜ66巻であるのか?
いつからそうであるのか?
決めた人、あるいはその会議の権威はどう担保されるのか?
聖書の無謬性(全文に一切間違いはない)はあるのか、あるとすればどのように証明されるのか?

まだ答えは出ていません。
ここではあるブログで提起されたプロテスタントが当然と考える聖書正典性に対する疑問を取り上げます。ブログ主はオーソドクス(ロシア正教)に改宗した女性信徒の方らしく、翻訳に詳しい方です。

簡単に言うと、新約聖書の著者たちはカトリックで言うところの第二正典を聖書そのものとして受け入れ、かつそれを前提として新約聖書を書いているではないか?という理解です。このように問いかけています。

「しかし何を旧約聖書として認めるかについて、キリスト教徒が使徒達よりも後代のユダヤ教徒達の決定に従うべき理由はありません。新約聖書の著者達は第二正典を頻繁に参照して利用しています。 *4 」

そこから出てくる質問は、ではなぜプロテスタントはそれを排除しているのか。排除したのは誰か、その権威は誰が与えたか。ということです。例えばルターが宗教改革により66巻のみが正典としたなら、ルターは正しかったのか、ルターに正典の権威を与えているのは神なのかという質問になります。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/七十人訳聖書

これは興味ある方は読んでいただき、ご意見を賜りたいと思います。コメント欄にどうぞ!