「日本人がキリストを信じるのが、そんなに難しいのはなぜなのか?」

「日本人がキリストを信じるのが、そんなに難しいのはなぜなのか?」
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日本キリスト教宣教400年、いまだ1%を超えず、これを私なりに考えてみました。

1.江戸時代の「宗門改め」という法律により、全ての日本人はキリストを禁じられ、キリスト者も改宗を余儀なくされ、仏教の檀家に全て強制的に統合された。こうして200年の鎖国を通して日本人は元々仏教徒だと思い込まされた。

2.20世紀に戦争に負けて、それまで国家政策で信じさせられていた「万世一系の天皇」「現人神」が嘘だと分かってしまい、日本人に宗教は真面目に信じる必要などないという「宗教傍観論」が生まれた。

3.戦後、科学万能の思想教育が行われた。教育界に唯物論マルクス主義の日教組が力を持ち、学童に信仰を排除した科学に基づく進化論を教え込まれたリベラル世代が日本人の中核になった。

4.日本人の大多数が日本人しか知らない。海外で信仰を持つ人々が多数存在(キリスト教20億人以上、イスラム教19億人)していても、その考え方に触れる機会がほとんどない。

5.日本人の中に「真理よりも和を重んじる」空気がある。「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」など、周りの人と争わず調和することが暗黙の前提として刷り込まれている。正しいと自分が信じても口に出さない。これは天皇を頂点とする封建制、江戸時代の鎖国、第二次大戦時の国家神道など、民衆による自主革命を経験しなかった長い時代の流れで形成された。

6.戦後日本人は米国の繁栄と軍事力の傘の下で、経済的繁栄を経験した。神がいなくてもお金が大事、お金があればなんとかなる、という価値観や拝金主義が知らずに親から子へと伝搬された。

私は日本人がキリストと出会うためには、日本人の価値観が根底から揺るがされる事態が来る必要があると思っています。それは少子高齢化の結果、外国人移民の流入により否応無く外国人と向き合うことかもしれないし、日本の安全保証を守る米国覇権の衰退かもしれないし、日本の貧困化、コロナや大災害による「自分の人生を消失する事態」なのかもしれないです。つまり「神様助けてください」と叫ぶような人間の限界を日本人が感じるその時なのかなぁと。

http://heaven.holy.jp/

日本ではキリスト教文化は肯定的なイメージで受け取られているが、信者数は総人口の1%にも満たない。その受容の歴史をたどりながら、日本人とキリスト教の関係を考える。