「キリスト教入門」動画

私いわゆる神学校行って学んだ人じゃないのです。
私の知ってる牧師さんにも神学校行かずに立派に仕事してらっしゃる方結構いるんです。

これからYouTubeに「キリスト教入門」動画をアップしていこうと思います。たぶん「高度な神学的教育」受けた人から見ると、わかってないなーそれ違うなーということ出てくると思います。その時はそっと私に教えてくださいね。

ところで私のライフワークに「終末論」があるんですけど、そのキーワードにやはり「イスラエル」はあるんです。イスラエルをどう捉えるかは、やはり終末論で重要になって来ます。

私はいわゆるディスペンセーション神学や置換神学なんてことを学んだこともあまりありません。5年くらい前まで置換神学なんて聞いたこともなかった。私は単に聖書に何て書いてあるかだけで、学んで来たように思います。確かに信仰書はよく読みましたし、ネットのキリスト教掲示板でディベートして相手の反論に対抗するため、よくいろんな神学書を買って調べましたし、他宗教の方ともディベートしたり、エホバの証人に伝道するためにキリスト教の固有性や正統性を勉強しました。それが私の神学校だったように思います。誰かに教えられたものではありませんでした。

教会の実践神学というのは、セルグループで学びました。つまりまさに実践で学んだわけです。伝道は実践しかありませんし、メッセージは教会の牧師が開いてた弟子コースで基礎的なことを教えられただけです。基本はひたすら聖書を読み込むことだけです。何たら神学なんていうのは一切教えてもらいませんでした。

私が行ってた教会を教えてくれてたハワイのポープチャペルのラルフモア 牧師は「牧師になるなら神学校に行くな」という考えがあって、私が今関わっているJCMNをサポートしてくれてるベンウォン牧師も同じこと言うんですね。

なぜあえて牧師になるなら神学校行かずにやれと言うのか?
理由があるんです。

それは万人祭司を実現したいなら、専門家を作るなという考えがあるからです。つまり牧師を神学の専門家にするなということです。

イエス様はご自分で選んだ弟子に直接寝食を共にして実践的に教えられました。それをやれというんですね。新約聖書には神学校に行きなさいという教えはなく、教会の中で弟子化が行われたわけです。それが教会の聖職者が生まれて、専門家になり、資格や何かが構造化され複雑化して、献身された人は神学校に行かないといけないという風に制度化された歴史があるわけです。本来初代教会にはそういうものはなかったわけです。

とはいえ今自分が行っている教会に弟子を教えてくれる良い学びができる環境がないなら、私は神学校に行かれたらいいと思います。

そういう意味で私は神学校に反対しているわけではないです。ただ教会が聖書をバランスよく学べる環境を作っている必要があるんです。私は教会ではいつも信徒自身が礼拝をリードするように教えて来ました。私はあなたが教える必要はない、ただみんなが聖書を開いて真理に気づくように導く「ファシリテーター」になることを教えてきました。私はそれを補足するために最後にショートメッセージするだけです。

おそらくこのような教会運営はセル教会やハウスチャーチ、シンプルチャーチなどでは一般的なやり方だろうと思います。ここではリーダーは神学の専門家である必要はありませんが、リーダーを教えるためにはある程度の神学理解は必要になってきます。私は特定の神学を教えるのでなく、こういう考え方もあるし、ああいう考え方もあるよと、信徒に選択肢を増やすように教えています