
「私は死ぬのでしょうか?」
死期を悟った人に私たちはどう答えることができるか。
コロナウイルスで亡くなる人が全世界で増えています。そうでなくても人は誰でも必ず死ぬ時が来ます。それは避けることが出来ず、ある人には不意にやってきます。
救急救命士の人の話で、死期を悟った人がその最後の瞬間に求めること
1.赦しを乞う。
人生の中で犯した罪、失敗、後悔、それが赦されることを知りたい。
2.私のことを覚えていて欲しい。
人の記憶に残っていたい。これは裏を返せば一人ぼっちで死にたくないということかもしれない。
3.私の人生に意味があったのか知りたい。
自分が生きてこの世にいた証
それはいったい何だったのか?
クリスチャンの私にとってこの答えはすでにあるんです。
私はキリストの十字架の死により、すでに創造主である神に赦されている。例え人が赦さなくても、神の赦しは究極の赦しの確信を与えてくれる。また人に覚えていてもらえなくても、神の懐に私の全ては覚えられている。やがて来るべき日に神は私の全身と霊と共に復活させてくださる。また神は私の人生にすでに意味を与えてくださっていることを知っている。
私はこれまで死期の近づいた人にこの事実をお伝えして来た。そのうちの何人かは最後の時にイエスキリストを個人的な主として受け入れました。集中治療室でそこにあった水で洗礼を授けたこともあります。
誰でもこれから死ぬ。それはコロナかもしれないし、そうでないかもしれない。けれども全ての人に救いは用意されてある。後はあなたがイエスキリストがあなたの個人的な罪の身代わりとなり死なれ、3日目に蘇られた人として来られた神であり主であると「心から信じて口で告白する」だけなんだ。
その時、あなたは神の御前に覚えられ、罪赦され、来るべき日にイエスのように死なない身体で蘇える奇跡が約束される。
こんな素晴らしいことはない。
これが「福音」なんです。
“すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。”
ローマ人への手紙 3章23~24節
“私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。”
ローマ人への手紙 6章8節
“高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。”
ローマ人への手紙 8章39節
“なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”
ローマ人への手紙 10章9~10節
